2019年7月2日火曜日

🎊祝🎊佐伯知彦さん、エベレスト登頂

お待たせしました!!
5月22日に富山県民で初めてエベレストの登頂を果たした
大人気のあの人!!佐伯知彦さんにお話を聞かせて頂きました👏👏
カッコイイという言葉以外に形容する言葉が見つからない。
※以降写真はすべて知彦さんから提供して頂きました。
エベレストに登るきっかけなど、知彦さんの人となりは
昨年Seedlessが取材していますのでぜひそちらもご覧下さい👀
👉立山=エベレスト 山をつなぎ山で育つ★ 四代目 「佐伯平蔵」とは?!

今は廃校となってしまった母校の芦峅小学校は
エベレストの麓にあるクムジュンスクールとの姉妹校。
そのクムジュンで日の丸に自分の名前を見つけた時には衝撃だったそうです。
なんと、知彦さんは自分の名前を見ても、
書いたことすら思い出せなかったとのこと。
おそらく小学校6年生の卒業間近に書き、
本格的な交流が始まったのは知彦さんが卒業してからだから
記憶に残っていないのではということでした。
それでも記録には残っており、交流が始まるのが1年遅かったら
ここに知彦さんの名前はなかったと思うと、
知彦さんとエベレストとの間の不思議な縁を感じます。

ベースキャンプでは一人の時間がたくさんあり、様々な事を考えたそうで、
『夢を叶えるためにはチャンスを掴むことが大事、
少しでも躊躇って決断を先延ばしにしてしまうと、
そのチャンスはもうなくなっているかもしれない。
でもそれ以上に大事なのはチャンスメイクすること。
そのためには夢を口にして人に伝える。
人に伝えることで、賛同してくれる人が出てくる。
ということを強く感じたとのことでした。
エベレストに登りたいと言わなければ、おそらく叶うことのなかった夢を
見事叶えた知彦さんのお話は本当に興味深かったです。

あまりにも濃い話を聞かせて頂けたので長くなってしまいますが、
お時間ある方は是非ご一読下さい。

実はこのプロジェクトが立ち上がったのは約5年前。
登りたいと思ってすぐ登れる訳ではないのがエベレスト。
技術や体力があることを証明するために
海外の様々な山に登った経験が必要だそうで、
準備期間が必要だったそうです。なんと、
エベレスト挑戦が決まった時から願掛けのために禁酒もしていたとのこと。

まずはエベレストの玄関口となるルクラ空港へ。

実はこちらの空港世界一危険な空港とまで言われ、
知彦さんの滞在中にも事故が起きていたようです😓

ルクラから先は全て徒歩での移動となり、高度順応が重要なので、
4日程でいける標高5300mのベースキャンプへ10日間かけて行ったそうです。
先程のクムジュンスクールがあるクムジュン村もこの途中にあります。

ベースキャンプに到着して最初にやることは、
毎朝お祈りをするためのタルチョと呼ばれるものの造営
ひとグループひとつ造営するため、
カラフルな旗が張り巡らされている景色は壮観だったそうです。
ベースキャンプから山頂までにはキャンプ1,2,3,4とあり、下から順番に
それぞれ1週間程滞在しながら標高をあげていくのかと思っていましたが、
最後の山頂アタック以外は、ベースキャンプをホームとして、
標高6000mまでの間を上下しながら高度順応するそうです。
1日や1泊2日などでベースキャンプに戻るため、
まさに家という感覚だったとのこと。

気になるベースキャンプでの生活は??
食事の写真を見せてもらったところ、私の想像以上に豪華でした。
日本人の知彦さんのために、お寿司を作ってくれたこともあったそうで、
オーブンなども運びこむため、ケーキを焼いてくれることもあったとのこと。
その理由が、普通に生活しているだけで痩せてしまい、
とにかく食べる事が大事だから。風邪をひいてしまえば
その環境で治すことは難しく、下山しなければならなくなるため、
とにかく体調管理に気を使ったとのこと。
もう一つ大事だったのがストレスを溜めない事。
毎日のように映画の上映会をしたりと、
リラックスできる環境を作ってもらえ、
ここでの生活はかなり快適だったそうです。

ベースキャンプからはキャンプ1へは、アイスフォールという降り積もった雪が氷河に変わり崩れ落ちてくるようなところを通るそうで、いつ崩れ落ちるか分からない氷の塊の中を歩くそうです。

今にも崩れそうに見えるアイスフォール。

キャンプ1からキャンプ2はウェスタンクームと呼ばれる日差しがある時はかなり暑い中を歩くとのこと。


そしてキャンプ2からキャンプ3はローツェフェイスと呼ばれる

氷の壁を登っていき、この間に標高7000メートルを越えます。
ほぼほぼ垂直のローツェフェイス。
キャンプ3からキャンプ4はイエローバンドや
ジェノバスパーという聞いたことある名前にワクワクしたそうです。

キャンプ4からはいよいよデスゾーンと呼ばれる、

人間が生存できないほど酸素濃度が低い所(酸素濃度は地上の1/3)へ突入。
ここは酸素の量を少なくしてゆっくり登るチーム、
酸素をいっぱい使って一気に登るチームなど作戦が分かれるそうです。
知彦さんは後者の作戦で一気に登ったそうですが、ヒラリーステップで、
最近問題となっている渋滞に巻き込まれてしまったとのこと
とにかく酸素流量を絞って、耐えるそうですが、
下山時に必要な酸素量を計算して、その量になってしまったら、
頂上を目の前に、諦めて下山しなければならないという状況。
正直イライラしたとのことでした。
登頂前、ご来光の際に現れたエベレストの影にとても感動したそうです。
無事に辿りついた✨山頂✨
いつまででも景色を見ていたい場所かと思いきや、
正直、苦しくて長くはいられない場所だそうです。

頂上から見るチベット側。氷河が本当の河のよう。

人類が歩いて辿り着くことの出来る一番高い場所。
行った人が口を揃えて「見上げるものが何もなく、
自分より上にはもう空しかない。全てのものが自分より下にある」
と言っているが、本当にその通りでそれを実感したそうです。
8000mより上では常に夢の中にいるような感覚だったとのこと。

登頂後
はキャンプ2まで下山する予定でしたが、
チームのメンバーにトラブルがあり、
キャンプ4でもう1泊しなければならなくなったとのこと。
こんなことはめったにないそうで、8000m付近にもう1泊できるなんて
贅沢だとも言われたそうですが、本人は早く下山したくてしょうがなかったそうです。そのため、次の日はキャンプ4から一気にベースキャンプへ。山岳ガイドの知彦さん、下山時に事故が多いのは身に染みて分かっているため、ベースキャンプに戻ってきてやっとホッとでき、それこそ家に帰ってきたという感覚だったそうです。
約2ヶ月近く過ごしたベースキャンプから離れる時は寂しい気持ちになったとのこと。

子供達に夢は実現できることを伝えたくて挑戦したエベレスト。
帰ってきてからは胸を張って「行ってきたよ」と報告しているそうです。

個人的に一番印象に残っているのが、「夜寝るのが怖かった」という言葉。
朝になっても起きれず、そのまま亡くなってしまうのではという考えがよぎったそうです。
キャンプ3より上では遺体を見る機会もあり、
いつ自分の身にそれが起きてもおかしくない状況。
朝起きて自分が生きていることにホッとする。
そんなにも生と死が隣り合わせの状況で見事に登りきった知彦さん。
貴重な体験を聞かせて頂くことができたこの機会に感謝したいと思います。

しおみん