8月6日
立山駅から富山地方鉄道立山線の電車に乗って。。。
五百石駅の元気交流ステーションで行われた
立山博物館主催の文化講演会
富山地方鉄道立山線・五百石駅 |
立山線は無人駅も多くある、ローカル鉄道ですが
五百石駅は立山町の中心地にあるため
他の駅とは雰囲気が異なり、とっても近代的な造りになっています
駅には立山町の保健福祉の総合的な機能や図書館、
町民交流センターなどがあり、駅と公共施設が一体となった
五百石駅舎内 |
午後2時から始まった講演会は
先着100名限定での開催だったのですが
わたしが会場に着いたときには
ほぼ、満席の状態になっていました。
明治大学兼任講師 『田村正彦』氏 |
今回の講演会の講師は、
明治大学兼任講師 『田村正彦』さんでした。
講演会では、古代から近世に至る
地獄の絵の中に描かれた世界を学ぶことができ、
中世の始め頃には戦争や自然災害によって
人々の地獄への意識が変わったことが地獄の絵からも
読み取ることができたり、室町時代に描かれた地獄の絵の中には
血の池地獄から救われる女性の姿があり、
”救済者”の存在が描かれるようになっていたりと
地獄の絵の中からは、その絵が描かれた時代の
歴史背景をも読み取ることができることを知り、
知れば知るほど面白い!と感じるようになり
本当に深い世界だなぁ~と改めて思いました。
中でも、今回の講演で一番印象深かったのは
日本国内に数多く残されている閻魔王像の中で
栃木県益子町の西明寺などでは”笑い閻魔”と呼ばれる
閻魔王像があるという、衝撃的なお話でした。
しかし、”笑い閻魔”の閻魔王像も最初からそのような
お顔だったわけではなく、月日とともに目が消えていき
いつの日か、”笑い閻魔”と
呼ばれるようになったものだということでした。
また、江戸時代のものとされる書物には、地獄の世界を
パロディーのように書き留められたものも多くあり
時代とともに人々が思う”地獄”の世界も
少しずつ変化したのだということがわかりました。
そして、講演会の最後には”立山曼荼羅”に関してのお話もあり
観念の世界と実際にあるものが織り交ぜられて描かれているのが
”立山曼荼羅”の地獄の特徴であることを学びました。
立山博物館・館長『高岡陽一』さんによる閉演のご挨拶 |
約2時間の講演会は
わたしにはまだ少し早かったかなぁ~と
正直、難しく感じてしまったところもあったのですが
中世の”立山地獄”が日本古典文学の様々な書物に
残されているように、”立山曼荼羅”からも
その時代の背景を見ることができ、”立山曼荼羅”の
絵解きの楽しさを改めて感じることができたり、
”立山曼荼羅”の中から立山の歴史を学ぶこともできたりと
また少し、”立山”を知ることができたと同時に
”立山”への興味がさらに湧き、わたしにとって
大好きな”立山”をこれからも
もっともっと知っていきたいものです。
8月6日 撮影
立山ガール わかな