2016年7月15日金曜日

立山カルデラの内部に行ってきました♪

昨日、立山カルデラ砂防博物館主催の

立山カルデラ砂防体験学習会』に参加してきました!




いつも、弥陀ヶ原カルデラ展望台から眺めていて

一度で良いから行ってみたいなぁ。。。”と思っていた

立山カルデラ』の内部に行けることになり

一ヶ月前からずっと、楽しみにしてきました。





立山カルデラの中では150年続く砂防工事が

今も毎日行われていて、雨が降ればその影響で

内部は荒々しい雰囲気となり危険な為、

この体験学習会はすぐに中止になります。

前日に開催予定だった学習会は中止となっていて

わたしたちの日程も前日まで開催が危ぶまれていたのですが

なんともラッキーなことに、この日は開催されることになりました。




体験学習会にはいくつかのコースがあるのですが

今回、わたしたちは社員研修の一環であり

トロッコ団体コース”で参加させていただきました。

どのコースも集合場所は全て同じであり

まずは、立山駅の横にある、立山カルデラ砂防博物館に行きました。

そこでは、参加するにあたっての注意事項やスケジュールの説明を受け、

そのあと予習程度に”立山カルデラ”とはどんなところなのか、

ということを学んでからヘルメットを持ち、靴底をよく洗ってから

学習会専用のバスに乗り、見学に出かけました。




バスは立山カルデラ砂防博物館を出発して

本宮砂防えん堤(登録有形文化財)を見ながら

有峰有料林道・亀谷連絡所を通り、

有峰林道小見線へと入っていきます。


有峰湖・有峰ダム

有峰湖と有峰ダムを望みながら、バスは

跡津川断層真川大露頭(国指定天然記念物)に向かいました。

途中、有峰記念館で5分のトイレ休憩を挟み

折立ゲートへと進んで行きます。

有峰記念館

この先は落石を受ける危険性があるため

ヘルメット着用での乗車となりました。


大型の工事車両用の橋

しばらくすると、二本の橋が架けられた場所がありました。

ここは、砂防工事の大型車両が通る道になるため

その特殊車両の重さに耐えられる強度のある橋と

わたしたちがバスで通った観光用の橋とに分かれていました。

真川第4号砂防えん堤

バスはさらに奥へと進んで行き

車窓からは真川第4えん堤や、

跡津川断層真川大露頭を見ることができました。

跡津川断層真川大露頭

約2時間近くバスに乗り、辿り着いた先は

六九谷展望台です。ここで一旦、バスを下りて

徒歩で展望台へと向かいました。




六九谷展望台では立山カルデラを一望することができました。





”六九谷”というのは、昭和44年(1969)8月の豪雨で崩れた谷であり、

発生した年から名づけられた場所です。





この場所は、安政5年(1858)4月9日に推定M7.1の

飛越地震が発生し、大鳶山や小鳶山などが崩れ落ち(とんび崩れ)、

大きなせき止め湖ができましたが、それが二度に渡って崩れ

常願寺川流域にも大きな災害をもたらしました。

その時の土砂(とんび泥)はカルデラを埋めつくし、その高さは

150mにもなったといわれています。これが昭和44年(1969)の

豪雨で崩れ、それによってできたのがこの『六九谷』というわけです。




いつも見ている弥陀ヶ原のカルデラ展望台とは

異なる角度からこの立山カルデラを見ることで少しだけ、

歴史の流れが見えた気がしました。ここから一度バスに乗車し

次に向かった先は多枝原展望台です。




ここからは、大鳶崩れと小鳶崩れの崩れ跡が

今もまだ生々しく感じられるほど、その荒々しい

姿を見ることができました。





1976年には、作家の”幸田文”さんがここを訪れ

著書『崩れ』に感銘した旨を書いておられます。




そして、ここには

『崩れ』の文学碑が建てられています。




また、多枝原展望台では多枝原基幹えん堤や

分散導流堤なども見ることができました。




展望台には崩れの歴史や工事の歴史が




一目でわかるように





それぞれの案内看板が設置されていました。





そして、ここからはまたバスに乗り

立山温泉跡地へと向かいました。




バスから降りるとそのすぐ先には

薬師堂跡の供養塔がありました。




安政の災害時、温泉は数十mの土砂に埋まり

30名余りの人がここに生き埋めとなったそうです。

供養塔に書かれていた犠牲者の方の名前を見ると

10代、20代、30代という若くして亡くなられた方も

多かったのだということがわかりました。

供養塔は昭和59年(1984)に建てられたものだそうです。





ここから、緑の中を少し進んでいくと

『立山の砂防 ここより発す』という石碑がありました。




その横には吊り橋が架けられていて

この吊り橋へと進んでいきました。




学習会には20名が参加していて、

+解説員さんが2名おられたので

総勢22名だったのですが、これだけの人数が一斉に渡っても

大丈夫なほど、とても丈夫なつり橋でした。

ただ、かなり揺れてはいました。(笑)




吊り橋を渡って、またしばらく緑の中を進んでいくと





熊さんにかじられた”泥鰌池”の看板がありました。




そして、後ろを振り返ると・・・

なんとも美しい泥鰌池の姿がありました!

ここが観光地ではないことが勿体ない・・・

と感じてしまうほど美しい光景でした。




しかし、普段は一般の人が立ち入れない場所なだけに

動物たちがのびのびと暮らしているようで

どう見ても、熊さんがイタズラしたとしか思えない

形跡がいたるところでみられました。


かじられて倒れたと思われる。。。
松尾峠に続く旧登山道の入口

新しく作られた木道もこの通り。。。

熊さんたちが暮らす場所に足を踏み入れ

設置物を作ったことに、もしかすると

怒っているのかなぁ?と思ってしまいました。




そんなことを考えながらも・・・

来た道を戻り、橋を再度渡り

今度は立山温泉跡地に向かいました!




この温泉は1580年に発見されたと伝えられていて

夏場には500人もの客で賑わったそうです。

昭和44年(1969)の大雨で登山道が流され

昭和48年(1973)に閉鎖され、昭和54年(1979)に

建物が焼却されました。




そしてここには今も、その

立山温泉の浴槽跡が残されています。




当時、立山温泉は消火器や神経系に効くとされていて

水で割ると効能が薄くなるというので

60℃の湯を自然に冷まして入っていたそうですよ。





今はここに見学者用に建てられた休憩所があり、

学習会ではここで昼食をとります。





わたしたちは朝、宿舎のママに作ってもらった

愛情たっぷり弁当をいただきました




休憩所の横には水場があり、参加者の中には

この水を汲んで飲んでいる方もおられましたが・・・

一応、後から確認をしたところ、今現在は

水質調査が済んでいないということなので

飲めないわけではないですが

”飲料可能”とは言えないようです。






昔の人はここまで歩いてきて、そしてここを越えて

各方面に歩いて行ったということなので

今のわたしたちにはちょっと考えられないことです。

そんな道中の温泉だったということですから、

多くの方の疲れと心を癒した温泉だったのでしょうね。




さて、ここからはまたバスに乗って

移動したわけですが、次に向かった先は

”白岩砂防えん堤”(国指定重要文化財)です!





そもそも、砂防えん堤はどのような働きをしているのか?

わたしもまだまだ知識が浅い中ではあるのですが

簡単に説明させていただくと・・・

砂防ダムがないと、水と一緒に土砂も流れてしまいます。

そのため、土砂を貯めて川底を削らせないようにすることが

必要になるわけです。そして、貯めた土砂で川岸の

崩れを防ぐというわけです。




そのため、白岩砂防えん堤では

150年に渡る砂防事業が今もなお、

続けられています。




そして、この”白岩砂防えん堤”は

砂防施設として日本で初めて

重要文化財に指定されたところでもあります!




また、白岩砂防えん堤は主えん堤の高さが63m、

長さが76mあり、7基の副えん堤を合わせると

落差が108mと日本一の高さを誇っています。




貯砂量は100万㎥あり、膨大な土砂を

カルデラの出口で押さえるかなめです!




昭和14年(1939)12月に完成しました。

この白岩砂防えん堤があるからこそ、わたしたちは

この富山で安心して暮らせているわけですから

本当に感謝しなければならないものだと

改めて実感しました。




白岩砂防えん堤で砂防工事をされる方々は

この地に泊まり込みで作業をされています。

その方たちの唯一の楽しみの場として造られたのが

この”天涯の湯”です。

一般には解放されていない為、わたしたちも

中の様子を見ることはできませんでしたが

きっと、昔の立山温泉のように作業員の方々の

疲れと心を癒してくれている湯なのだろうなぁと

思って外観だけ見てきました。




ここからは、歩いて”白岩右岸部岩盤対策工”を

見学しに行きました。




左側のトンネルは補強工事用トンネルであり、

右側は砂防工事の前線基地や宿舎、トロッコの終点などがある

水谷平とカルデラ内を繋ぐ、唯一のトンネルとなっています。




まずは、左側の補強工事用トンネルの内部を

見学しました!







トンネル内部の壁一面には固定された

アンカーヘッドとケーブルボルトがありました。





壁から角のように突き出たヘッドやボルトの先には

889本のワイヤーがもろい岩盤を締め付けたり

引き止めたりして補強しています。




この工法を”ロックアンカー工法”と言うそうです。




ここで一旦、トンネルの入り口に戻り




今度は、右側のトンネルへと進みます。




このトンネルは車一台がやっと通れるほどの

狭くて暗いトンネルのため、交互通行となっています。




そのため、トンネルの入り口には

通行ランプが設置されていて

作業する方々がここを通行する際には

通行ランプを点灯させることにより

トンネル内での事故を防いでいるそうです。





長いトンネルを抜けると





”水谷平”に出ました!




ここが、砂防工事の前線基地と呼ばれる場所です。




立山砂防軌道(工事用トロッコ)では

駅のことを”軌道連絡所”と言います。




この”水谷連絡所”がいわゆる

トロッコの終着駅というわけですね。






水谷平は、砂防工事の前線基地らしく

作業員の方の宿舎や診療所、

ジュースの自動販売機までもがありました!




また、ここには神様を祀った社もあり

毎年、7月には砂防工事の安全祈願祭が

行われているそうです。




トンネルの右側には仏様の姿もありました。





水谷平には”水谷の滝”と呼ばれる滝があるのですが

この滝は、常時見られるわけではなく

水量の多い時にだけ見られるらしいので

これが見れたとは、なんともラッキーなことでした!




さぁ!ここからは待ちに待った

トロッコに乗車で~すっ♪♪




トロッコは水谷平から立山カルデラ砂防博物館のある

千寿ヶ原まで18km、標高差640mを1時間45分で

結んでいます。工事現場で働く人を乗せたり、

資材を運んだりします。




このトロッコの一番の特徴は・・・

スイッチバック走行をすることです!




スイッチバックとは、列車が急斜面を登るために

前進・後退を繰り返しながら進むことです。




全部で38段あり、特に樺平では高度差約200mを

連続18段で下っています。因みにこれは

世界一のスイッチバックの段数になるそうです。




楽しかったトロッコの旅もあっという間!!

気付けば見慣れた景色・・・




水谷連絡所から二ヵ所の連絡所を通り




立山駅のある千寿ヶ原に帰ってきましたぁ~♪




”立山カルデラ砂防体験学習会”では

普段、なかなか立ち入ることができない

『立山カルデラ』の内部に入ることができ、

自然災害の恐ろしさを間近で見て、知ることができました。

また、私たちが安全に、安心して暮らせているのも

この砂防工事が150年に渡り続けられているおかげであり、

この危険を伴う砂防工事に携わってこられた

多くの作業員の皆様に感謝しなければならないということを

今回、改めて思いました。



立山ガール ⛄とも⛄🌷わかな🌷







立山カルデラ砂防博物館・体験学習会の

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立山カルデラ砂防博物館HP